大阪うろん物語
子供の頃、母がつくってくれるうどんが大好きでした。お腹が空くと母の姿を探し、割烹着の裾を引っぱりながら、「かあちゃん、うどんつくって。」とねだったものでした。自分では「うどん」と言っていたつもりだったのですが、まだ舌足らずだったために、母の耳には「うろん」と聞こえていたようです。
「きよちゃん、うろんできたよ。」
卓袱台の上に置かれた鉢の中には、
お出汁とうどんしか入っていませんでしたが、
昆布と鰹のえも言われぬいい香りが漂い、
夢中で食べる僕を、湯気の向こうから母が見ていました。
大人になっても、僕のうどん好きは変わりませんでした。あそこのお出汁が美味しいと聞けば行って飲み干し、こちらの麺が素晴らしいと聞けば遠方まで出かけて平らげました。でも、“かあちゃんのうろん”よりおいしいうどんには出会うことができませんでした。
「どうして“かあちゃんのうろん”はあんなにも美味しかったのだろう?いや、きっとノスタルジックな郷愁がそう思い込ませているのだ。」
もうずいぶん前に母は他界し、誰にもうろんをねだることができなくなっていた僕は、
自分にそう言い聞かせて懐かしい記憶に蓋をしました。
しかし今年の3月、僕はひとりの素晴らしい人物と出会いました。その方は、私費を投じて日本の食文化継承に尽力されておられる方で、僕にこうおっしゃってくださいました。
「喜多條さん、私が信頼している讃岐の製麺会社を紹介するから、あなたが持っている昆布の知識と経験を駆使して、世界に通用する昆布うどんを創ってくれないか。」
昆布問屋として、大のうどん好きとして、断る理由などどこにもありませんでした。ただ、ひとつだけわがままを言わせていただきました。
「絶対にどこにも負けない最高の北海道産昆布を用意いたします。だから、小麦粉も塩も国産にこだわって、この3つの原料だけで無添加のうどんを打ってください。」ということでした。
原料の調合にはかなりの時間が必要でしたが、試食してみて驚きました。うどんに練り込んだ昆布の粉末がとけ出して、茹で汁が昆布出しになっていたのです。そこにひとつかみの本枯節を入れ、少量の醤油を注ぎ、ひと口食べたときの驚きを、僕は一生忘れることがないでしょう。
それはまさに「かあちゃんのうろん」だったのです。
香りは人間の脳の記憶中枢に直接働きかけるといいます。口から鼻へと抜ぬけた、お出汁と小麦粉の香りは、一瞬で子供の頃の記憶を鮮やかに蘇らせてくれました。
どうしてこんな簡単なことに気がつかなかったのか。昭和20年代には手軽な顆粒うどん出しなどまだ発売されていなかったし、
市場のかしわ屋のおばちゃんが長いさえ箸で取り分けてくれたうどん玉にも
添加物など入ってはいませんでした。
つまり「かあちゃんのうろん」は、当時の母親たちがつくっていた「普通のうどん」だったのです。美味しいはずです。うどんはもちろん、その頃の食事はほとんど無添加だったのですから。
そこで僕は、この味をひとりでも多くの方に味わっていただくために、“干しめん”にして発売することにしました。ご年配の方には、記憶の奥の方にある美味しさをも一度思い出していただけるはずです。若い世代の方には、自然のままの美味しさを知っていただく機会になればと思っています。
いずれ、世界に通用するかどうかを確かめるため、海外にも連れて行きたいです。
最後に、「大阪うろん」という名前は、けっして奇をてらったわけではありません。いい歳をして、母に捧げるうろんです。
かあちゃんありがとう。
大阪うろんは論より証拠。
ぜひ一度お試しください。
(株)天満大阪昆布 主人 喜多條清光